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福岡高等裁判所 昭和62年(行ケ)4号 判決

主文

原告の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  昭和六二年四月一二日執行の熊本県議会議員天草郡上島選挙区一般選挙における当選の効力に関する原告の異議の申出について被告が同年八月一九日にした決定を取消す。

二  右選挙における当選人甲野太郎の当選を無効とする。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文第一、二項同旨

第二  当事者の主張

(請求の原因)

一  原告は昭和六二年四月一二日に執行された熊本県議会議員天草上島選挙区一般選挙(以下「本件選挙」という。)の選挙人であるが、同選挙の結果、得票数は訴外小谷久爾夫が一万四一九四票、訴外甲野太郎が一万二七六五票、訴外杉森猛夫が一万二七三一票であるとされ、小谷久爾夫と甲野太郎が当選人と決まり、その旨告示された。

二  原告は、甲野太郎の当選の効力に不服があるので、昭和六二年四月二四日被告に対して、特別養護老人ホームである○○苑での不在者投票及び代理投票の瑕疵を理由に、当選人甲野太郎の当選無効を主張して異議を申し出たところ、被告は同年八月一九日右申出を棄却する旨の決定(以下「本件決定」という。)をし、同決定書は翌二〇日原告に交付された。

○○苑における本件選挙の不在者投票、代理投票の方法は、昭和六二年四月三日頃、同苑職員訴外丁田が入苑者全員から投票用紙及び不在者投票用封筒の請求の依頼を受けたとして、施設長の訴外甲野一郎(以下単に「甲野」というときは同人をいう。)が大矢野町選挙管理委員会(以下「町選挙管理委員会」という。)に右用紙等の代理請求(以下「本件代理請求」という。)をし、同月七日に○○苑内の訓練室を投票所として、その場で本人投票の訴外FSを除く四七名から代理投票の依頼を受け、訴外乙山春子、同丙川夏子が候補者名を記載して代理投票(以下「本件代理投票」という。)したこととなっている。

三  本件決定の理由の要旨は次のとおりである。

1 不在者投票の事由の有無については、同投票の請求を受けた町選挙管理委員会に実質的権限はなく、同委員会は同投票の申立にかかる事由が同投票事由に該当するか否かを形式的に審査すれば足りるものである。

同委員会になされた七二九件の同投票請求書の記載それ自体からは、不在者投票事由の明確でないものが八件存在したが、町選挙管理委員会で選挙人を補正させるか、補足説明を聞いて処理しているので違法はない。仮に右八票が無効でも、選挙の結果に影響がない。

2 買収等の違法な働きかけによって不在者投票が行われたとしても、同投票の事由が形式的に要件を充たしていれば、町選挙管理委員会は同投票を拒否できないから、管理に何ら違法はない。

3 本件代理請求については、○○苑の職員が入所者の意志を確認したうえで、適法に行われている。選挙に関する意思表明ができない程度の入所者がいた事実はない。

4 ○○苑における不在者投票は、立会人及び代理投票補助者が立会して、適正に行われており、本件代理投票も確実な手続で行われていて何ら問題はない。

四  しかし、本件決定は次の理由で違法である。

1 ○○苑の入所者は、いわゆる寝たきり老人であって、平均年齢も八〇歳に近く、精神的肉体的に極度に衰弱している者が多く、本件選挙で投票したのは、別表のとおり、四八名(うち九名はその後死亡)であるが、そのうちの少なくとも二七名(別表上欄に○印をしたもの)については会話が殆ど不可能で、自己の氏名、生年月日等が分かっていない者など、生活上の基本的事項について記憶がないか、表現ができず、○○苑職員丁田の「今度の選挙に投票するか。」との問いに対して「する。」と答えた程度であり、これのみをもって本件代理請求の意思があったとは到底いえない。右二七名は、選挙に関する投票の意思も能力もなく、候補者の特定もできず、従って、不在者投票を自らの意思で要望し、代理請求を依頼したとは到底認められない。

従って、これらの者については、不在者投票の代理請求それ自体が違法であるのに、これを適法とする本件決定には瑕疵がある。

2 被告は、不在者投票事由の有無は形式的に審査すれば足りると主張するが、○○苑のような高齢の病弱者を収容する施設において選挙権を有する四八名の収容者全員が不在者投票を希望すること自体が常識上ありえないことであり、現に過半数以上の者が投票に関する意思と能力に欠ける者であったのであるから、町選挙管理委員会としても、不在者投票を希望する意思表明をすることが不可能な老人の存在を当然予想して、その点を確認して不在者投票請求を受理すべきであるのに、この点を看過してした本件決定は違法である。

3 ○○苑での不在者投票の管理者である施設長甲野は、候補者である甲野太郎と従兄弟の関係にあり、同候補のために悪質な買収をして検挙され、起訴された者であるが、同苑入所者に対して、施設長としてのその業務上の地位を利用して甲野太郎への投票を勧誘するという公職選挙法一三五条二項に違反する行為に出ている。

この違法行為は、一般の買収等の違法行為と異なり、投票管理者それ自身が選挙の公正を害したものであるから、右投票所における投票数の限度において、選挙の結果に異動をきたすものと認められるべきである。然るに、これを看過してした本件決定は違法である。

4 本件代理投票には次のとおりの瑕疵があるのに、これを考慮しなかった本件決定は違法である。

(一) ○○苑における前記二七名の選挙についての代理投票は、選挙人それ自身に投票の意思も能力もなく候補者の特定も行われなかったのであるから、その選挙人の投票とは認められず、代理投票補助者による代理投票を仮装した詐偽投票で無効である。

(二) 更に、○○苑の収容者で本件代理投票をしたもののうち、右二七名を除く二〇名は、かろうじて日常会話ができ、自己の意思表明ができるものの、施設長或は職員の意思、意向に反すると施設から追い出されたり、辛い扱いを受けることから、選挙人が自ら候補者の氏名を指示することはなく、代理投票補助者が選挙人の意思に反して、自らの支持する候補者氏名を投票用紙に記載し、選挙人はそれに対し、自らの異議を述べることもできなかったもので、同人らの投票も、選挙人自らの自由な意思による投票とは到底認められない状況でなされた無効な投票である。

(三) 代理投票では、選挙人以外の者による氏名の記載の方法を認める代わりに、選挙管理委員会の任命に基づいて選任された投票管理者が、投票立会人の意見を聞いて二名の投票補助者を定めて、これに代理投票させることになっているが、これは、投票立会人の看視等により、選挙人の投票に関する意思決定に影響を与えないように配慮されているものである。しかるところ、○○苑の施設長甲野は、候補者甲野太郎の従兄弟で、同人のために強力な選挙運動を展開していたもので、本件投票管理者でもある。このような管理者である右施設長の影響下において、同施設職員を代理投票補助者として選定したうえ、同投票においては、補助者が候補者甲野太郎に投票しようとしていたのであるから、右二〇名の投票についても選挙人の意に反して投票用紙に甲野太郎と記載されたものとして無効のものである。

五  以上のとおり、本件選挙は、選挙の管理執行機関において、不在者投票の管理執行に関する規定に違反し、詐偽投票まで行われていることが明らかであり、○○苑で投票された四七票は全て選挙人の意思に基づかない違法な手続で甲野太郎に投票された無効なものである。本件選挙においては、当選人甲野太郎と次点者である杉森猛夫との得票差がわずかに三四票であったから、右の違法は本件選挙の結果に異動を生ぜしめたのみでなく、選挙の公正と自由を阻害したもので、右甲野太郎の当選は無効である。

六  よって、原告は本件決定の取消しと甲野太郎の当選を無効とすることを求める。

(請求の原因に対する答弁)

一  請求の原因一ないし三は認める。

二  同四、1ないし4は、別表のとおり○○苑での不在者投票において四八名が投票したこと、被告が不在者投票事由の有無は形式的に審査すれば足りると主張していること、甲野が○○苑の施設長であり、不在者投票管理者であったことは認め、その余は否認する。

三  同五は否認する。

四  被告の反論

1 本件不在者投票の代理請求については、○○苑職員二名が慣例に従い、各室を回り、本件選挙がある旨を周知させて、投票意思の確認をし、更に本人の承諾をとったうえで、代理請求の依頼書に押印(一名については入所者自らが押印)したもので、適法に同依頼書が作成されたのであって、これに瑕疵はなかった。

公職選挙法施行令(以下「施行令」という。)五〇条四項によれば、老人ホーム等の不在者投票をすることのできる指定施設等の長は、施設等にあるべき選挙人の依頼があった場合においては、これらの選挙人に代わって選挙人名簿の属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対して、文書をもって不在者投票用紙等の交付を請求することができることになっており、右請求の意思表明については、選挙人が多数にのぼる県選挙管理委員会の管理の選挙及び施設の所在地の選挙については、施設等の長が、施設外の情報に乏しい入所者に対して選挙がある旨の周知を行うとともに投票意思の有無についても個別に確認するという方法を採用する施設が大多数、一般的である。

従って、○○苑における本件代理請求は適法にされているものである。また、本件代理請求に関する書類自体に瑕疵は見当たらなかったのであって、町選挙管理委員会委員長は、右請求に関して形式的審査権限を有するのみであるから、請求どおりに投票用紙等を○○苑の長に交付したことについて何らの違法はない。

なお、○○苑の不在者投票の状況は常に四八名前後であり、本件選挙の際に特に異常であったとも認められない。

2 甲野一郎が業務上の地位を利用して甲野太郎への投票を勧誘した事実はない。

3 代理投票をした四七名はいずれも投票に関する意思も能力もあった。

○○苑入所者の四八名はいずれも何らかの身体的障害により介護を要する者ではあるが、その殆どが自力歩行若しくは歩行器、車椅子を使用し、苑内を移動することができる程度のものであり、また日常生活における意思表明については、そのいずれもが介護に従事する者等と意思の疎通ができる者であった。各入所者は「身体の故障等により字が書けない或いは字は書けるが、投票用紙などの小さい紙には書けない。」として代理投票を依頼したのであって、何ら違法はない。

また、投票を管理する機関が、一人一人について投票の能力があるか否かを審査し、その許否を決定することは、公職選挙法一一条が心神喪失者で禁治産宣告を受けた者のみを選挙権を有しないとしているにかかわらず、選挙権を有する者の範囲を実質的に変更することになり、許されないものである。また、限られた時間に大量に処理する選挙事務の性格上からも、このような権限はないと考えられる。

従って、投票を管理する機関は一見明らかに能力のない場合を除くほかは、全て投票させなければならないのであって、この基準をもって執行された投票には何ら手続の違法はない。

4 代理投票の補助者が本人の意思に反した記載をして投票したものとの主張は、秘密投票の原則上許されないものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求の原因一ないし三の各事実及び○○苑における不在者投票において同苑の四八名が投票したこと、甲野が同苑の施設長であり、同苑における本件選挙の不在者投票管理者であったこと、被告が不在者投票事由の有無は形式的に審査すれば足りる旨主張していることは当事者間に争いがない。

そこで、本件選挙における不在者投票の手続について所論のような違法があるか否かについて検討すべきところ、先ず本件の事実関係についてみるに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  ○○苑は、社会福祉法人△△会(理事長は同施設長甲野の父甲野星男)によって昭和五七年に設置された特別養護老人ホーム(老人福祉法一一条一項三号により、原則として六五歳以上の者で、身体上又は精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要とし、かつ居宅においてこれを受けることが困難な者を収容、保護する老人福祉施設)で、入所者は当初二〇名程度であったが、本件選挙当時は定員五〇名で、入所者は別表記載の四八名(他に短期入所者一名がいた。)であり、いずれも同表記載のとおりの高齢であった。同苑に痴呆棟は設置されていず、寮母らの介護等により処遇の可能な者を受け入れており、痴呆症状が強度となった者、専門的医療が必要となった者は、他の痴呆棟のある施設や病院に転院する取扱いがされていた。同苑には看護婦が配置され、毎日嘱託医が診察に訪れ、具体的症状のある者を一日に二、三名診察し、月に一度は定期的に入所者全員を回診していたが、いずれも対症的治療にとどまっていた。

もっとも、本件選挙当時でも同苑入所者の半数以上は常時おむつを使用し、移動には殆どが歩行器或いは車椅子を使用(車椅子使用者中の自力走行可能な者は一四、五名で、他は介護者の補助が必要であった。)し、寝たきりの者も五、六名あり、同人らは苑内では介護を受けてベッドのまま移動していた。苑職員のうち、昼間に介護にあたるのは六名程度であり、夜間は二名が当直していた。入所者の言語は明瞭ではなく、失見当もあったが、介護する職員は日頃から入所者に接し、その家族等も熟知していたので、意思の疎通は比較的容易であった。入所者は一室に四名で同室しており、同居者との折合いの悪いときは部屋代えがされることもあった。食事は原則として食堂ですることになっていたが、ベッドでとる者もあり、食事の際に完全介助を要するのは七、八名で、介助の要なく自分で食事できるのは三〇名であり、残りの者はスプーンやお椀を握らせれば、自分で食べていた。

退所の理由は殆どが死亡であり、終末近くの入所者では入所期間が一週間の者もあった。

2  入所者の日課の主なものは、午前中のおむつ交換(二回)、朝食後のラジオ体操、入浴(但し、一日に三〇名程度)、昼食後の自由時間(ビデオ鑑賞等で過ごした。)であった。また、月毎に誕生会、花見、ゲーム大会、法話等の行事が組まれており、職員に連れられて日帰り旅行に出かけたりすることもあった。苑では入所者の老化防止、機能回復等のためにGBB(グッドバイベッド、ベッドで寝たきりの者も参加させて機能回復の訓練をするもの)及び苑内活動の一環として、書道クラブ、手芸クラブ、舞踏リズムクラブ等があり、参加者は書道クラブで五、六名、他で一五ないし三〇名程度であったが、手芸クラブにしても職員の補助なしで作品が完成されることはなかった。

入所者の最大の楽しみは家族らとの面会及び正月等の際の帰省であった。

3  開苑当初の公職選挙では、入所者殆ど全員から投票の要望があり、苑では町の投票所で投票させたが、身体不自由の入所者を同行させる苑側の負担は大きかった。そこで被告は、苑からの要望を受けて、同苑を不在者投票のなされる老人ホームに指定した。以降、入所者は同施設長の管理のもとで同苑の機能回復訓練室で不在者投票の手続をしてきたが、各公職選挙において、殆ど全員につき身体故障等を理由に代理投票(同法四八条)がされており、昭和六二年四月二六日の同町議員選挙においても同様であった。

選挙は各室でも入所者間の話題になることがあり、親戚らから入所者への働きかけのために、選挙前には面会者が多くなった。本件選挙前の昭和六二年二月以降の面会者(但し、面会簿に記入した者)は、同月で一七〇名、三月で三一五名、四月で二四九名、五月で二三五名であった。

4  同苑では、昭和六二年三月末ないし四月初め頃に同苑職員の丁田及び訴外戊海冬男が各室内を回って入所者に対して「選挙をするか。」等の質問をしたところ、拒否の意思表示をする者はいなかったので、丁田ら及び甲野において、入所者から預かり事務所で保管していた各人の印章(但し、別表11のMAは自分で印章を保管していた。)を使用して、別表記載四八名の施設長甲野宛の昭和六二年四月三日付投票用紙等の代理請求依頼書(〈証拠〉)を作成した。

同苑施設長甲野は、同日、町選挙管理委員会に対し、同依頼書を添付したうえで右四八名についての投票用紙、不在者投票用封筒の交付請求書を提出したところ、同月四日町選挙管理委員会は同甲野に対して請求にかかる投票用紙等を交付した。

5  ○○苑での本件不在者投票は、施行令五五条二項二号により不在者投票管理者となつた施設長甲野の管理のもとに、同苑の機能回復訓練室で実施された。同室入口の受付には、甲野及び同人から投票立会人に選任された苑職員の訴外己畑花子が座り、投票者は受付で甲野から投票用紙と封筒(内封筒と外封筒の二枚)を受け取り、六、七メートル離れた壁際に設置されていた投票記載台に赴いて候補者名を記入し、封印のうえ同室中央に置かれた投票箱に入れて投票することになっていた。

入所者は車椅子等で順次、介護者とともに右訓練室に赴いたが、老齢で視力が弱く、日頃筆記用具を握っていない者が殆どで、小さい投票用紙に候補者名を記入するのは困難であり、書道クラブに参加していた別表番号8のFSのみが本人投票をしたが、他の四七名については身体の故障を理由に代理投票の手続がされた。なお、寝たきりの者については、介護者によりベッドのまま搬入されて投票手続がされた。

投票管理者の甲野は、代理投票補助者(同法四八条二項)を苑職員の乙山、丙川、戊海及び丁田と定めており、代理投票の請求がされたときは、乙山或は丙川が記載者となり、その立会人は乙山のときは、戊海、丙川のときは丁田が担当した。

6  甲野は、本件選挙で当選した甲野太郎と親交があり、本件選挙では同人のために選挙運動をしており、その後公職選挙法違反で送検されたが、容疑内容は、同選挙に際して苑内で三回にわたり、同級生ら合計四名に現金八〇万円を供与したというものであった。

7  また、本件選挙後、同年四月二六日に大矢野町議会議員選挙が執行されたが、同苑入所者全員について、本件選挙と同様に同月二一日付で不在者投票用紙等の代理請求書が町選挙管理委員会に提出され、その後同苑において不在者投票の手続がされている。

以上の事実が認められる。

二  右認定の各事実を踏まえて、本件決定の違法事由に関する各主張(請求原因四)について以下に順次検討する。

1  原告は、高齢、病弱者収容施設である○○苑の収容者四八名全員が不在者投票を希望することは常識上ありえず、現にそのうち二七名については、明らかに選挙に関する投票の意思、能力がなく、従って町選挙管理委員会はこのような施設からの不在者投票請求の受理に際しては、その意思の在否について確認すべきであったのに、これをしなかった瑕疵がある旨(請求の原因四、2)主張する。

しかしながら、右は選挙の管理執行の違法を主張するもので、本来選挙無効の事由とすべきものであり、主張自体失当である。しかし一応これについて付言するに、現行法上、選挙資格は満二〇年以上の者に与えられている(公職選挙法九条)が、意思能力の程度からの制限については、心神喪失の常況にあるために民法七条により家庭裁判所から禁治産の宣告を受けた者は選挙権を有しないものとされている(同法一一条一項一号)以外には、これを制限するとの特段の条項はないから、法は意思能力の減弱した心神耗弱者についてもこれを制限するものではないと解される。従って、右禁治産宣告を受けた者以外の者から投票(不在者投票の手続を含む。)が求められたときは、これを受けた当該選挙管理委員会はその求めに応じるほかはないと解されるところ、○○苑入苑者につき禁治産の宣告を受けた者がいたと認めるべき証拠はなく、また、右一、3に認定の不在者投票施設指定の経緯及び4のとおりの代理請求依頼書添付の事実等に照らすと、町選挙管理委員会において○○苑入所者の意思能力と不在者投票請求につき特にこれを疑うべき不審な点もなかったと認められるから、同投票用紙等の請求につき同委員会が形式的審査にとどめて本件代理請求に応じたのは相当というほかなく、この点に所論のような不在者投票事由の審査手続の違法があるとは言うことができない。

2  次に、請求の原因四、3の主張について検討するに、前記一、6に認定のとおり、甲野一郎の選挙違反の事実は認められるが、同違反は甲野一郎が不在者投票管理者としての職務に関連してしたものではなく、同違反があるからといって直ちに甲野太郎の当選を無効とすべき理由はない。右主張は選挙の効力に関する公職選挙法二〇五条の選挙規定違反を主張するものであり、当選の効力に関するものではないし、仮にそうでないとしても、同条が選挙の公正さを保つための規定であることに鑑みれば、同条にいう「選挙規定」とは、選挙管理機関が選挙の管理執行につき遵守すべき手続規定違反をいうと解すべきである。従って、甲野の右違反の事実は、選挙の管理執行に関するものではないから、いずれにしろ当選の無効を招来するとはいえない。その他甲野が施設長としての地位を利用して入所者に対する勧誘行為をしたと認めるに足る証拠はないから、請求の原因四、3の主張は採用できない。

3  その余の原告の主張は、要するに二七名及びそれ以外の者についても、本件代理請求や投票をする意思も能力もないのに、苑側において入所者に無断ないし拒むことができない状態のもとで、本件代理請求及び代理投票の手続をしたもので、選挙管理自体に瑕疵があり、本件投票分の四七票は投票者の意思によらない無効のものであるとの主張と解される。

右主張は、投票管理に関する違反を主張するものであって、たとえその違法管理された投票数が確定できるとしても、選挙無効原因として取扱うべきもので、当選無効を求める本訴の請求原因としては失当な主張というほかはないが、公職選挙法二〇九条に鑑み、また右主張に本件投票者の意思能力等の欠陷ひいては潜在無効投票の存在の主張も含まれているとも解されるので、右主張について以下に検討する。

しかるところ、右施設長らが不在者投票用紙等の代理請求に際し、各選挙人の意思確認については苑職員の丁田らが各室を回って入所者に一応の確認をしたことは、証人丁田のみならず、証人丙川、同己畑もこれに副う証言をしていること、投票手続は苑内でされるから投票者に特段の身体的侵襲はなく入所者らにおいて拒むべき理由はないこと、前記のとおりMAは印章を自ら保管していたのであるから、同人の押捺を得るために同人への説明、意思確認がなされたと解するほかないこと等に照らすとき、一応、各選挙人の意思確認のうえ本件代理請求がなされたと認めることができるといわねばならない。

また、代理投票についても、投票者からの何らの意思表示がないのに補助者らが勝手に代理投票手続をしたことを明らかに認めうる証拠はない。

従って、本件代理請求手続及び代理投票手続きに関しては、本件投票管理者側において、外形的には適正になされたものと認めるほかはない。

しかし、同入所者らの判断能力等に一応問題があるので、右適正か否かは、入所者らの判断能力の有無にかかるというべきである。そうして、丁田らにおいて、右のとおり一応不在者投票意思を確認したうえで本件代理投票手続がされ、入所者四七名(FSを除く。)が機能回復訓練室に赴いて代理投票の手続がされたことは前記のとおりであるので、同人らが代理投票の前提である候補者選択ができる判断能力を有していれば、当然に不在者投票代理請求の能力も有していたと解されるから、更に各入所者の本件選挙当時の右に関する判断能力の有無、程度について検討する。

〈証拠〉によれば、痴呆とは、脳の後天的障害により一旦獲得された知能が傷病に起因して持続的かつ比較的短期間のうちに低下し、日常生活に支障をきたす症状を呈することをいい、症状としては記憶障害や記銘力、人格水準の低下、知能の低下をもたらし、妄想、幻覚、独語、徘徊、不潔行為、失禁、摂取異常、言語や歩行の障害等の動作能力の低下、身体的疾患、異常行動などの合併症を引き起こすものであること、我が国では、欧米諸国にみられる脳の変性疾患によるアルツハイマー型痴呆よりも脳梗塞、脳出血などの脳卒中による脳血管性痴呆のほうが多いこと、痴呆の症状の程度は、一般には、(1)軽度(日常会話や理解は大体可能だが、内容に乏しく或は不完全で、生活指導、時に介助を要する。)、(2)中度(一時的失見当、簡単な日常会話可能、介助が必要で、金銭や投薬の管理が必要なことが多い。)(3)高度(施設内での失見当もあり、簡単な日常会話すら困難で常時手助けが必要。)、(4)非常に高度(自分の名前すら忘れる。寸前のことも忘れる。身近な家族のことすら分からない。)の四段階に分けられることが認められる。

右痴呆症状のうちの「(4)非常に高度」の者は選挙にあたって候補者を選択することは勿論、その名を忘れることが多く、代理投票においても自ら候補者名を告げることは殆どないと考えられるところ、○○苑入所者の症状につき、島田証人(同人は同苑入所者を診察してきた嘱託医である。)は、「入所者のうちの痴呆症状のある者の程度は軽度と中度の中間位である。但し、別紙15のUS、21のMT、38のMM、44のTFの四名は中度に近い症状であった。痴呆の診断がされていても直ちに精神状態が普通以下とはいえない。痴呆の病名のついた一一名程度が社会的に劣るといえば劣るが、他の者は普通に話せば分かってくれる。」旨の入所者の意思能力につき問題がない趣旨の証言をし、丙川、甲野、丁田、乙山、己畑らの各証人(いずれも同苑職員で、かつ代理請求等の手続に関与した者である。以下、「〈証拠〉」という。)は、「重度の障害者はいなかった。痴呆と認定されている者も症状がないこともあり、いずれも意思の疎通はできた。」旨の右島田証言に副う証言をし、更に、「本件不在者投票の代理投票に際しても、入所者らはいずれも自分から候補者名を述べた。黙っている者も問いかければ、応答した。」旨の証言をする。

しかしながら、島田証人は、同人の証言によっても必ずしも苑内における入所者の具体的生活状況を把握しているものではないことが窺われ、同苑が前記介護を要する老人の福祉施設で、終末を迎える者が殆どであることは前記のとおりであり、〈証拠〉によれば、本件選挙後の同年四月二六日執行の町議会議員選挙に際しては○○苑でも同様に不在者投票手続がされたが、別表1のHKは終末が近く、全身に浮腫があり、殆ど寝たきりの状態であり、娘のHSが付き添っていたところ、苑職員が投票を執拗に勧め、当初投票を拒んでいたHKも結局は同苑職員に対して投票を任せるかのごとき言動をしたことが認められ(これに反する証人庚島の証言部分は不自然であり、措信できない。)この事実と前記の甲野の選挙違反の事実に照らすと、右〈証拠〉も直ちには措信し難いものがあり、また、判断能力の減弱した投票者は、補助者らが候補者名を示唆すれば容易にこれに応じることも推測するに難くない。

4  そこで、更に個別に入所者の生活状況、痴呆症状の有無と程度及び虚偽の記載がされる状況の有無等について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、別表1ないし4、6、7、10ないし14、17ないし19、23ないし25、27、28、31、34、37、41、43、45ないし47の二七名は、いずれも診療録に痴呆或は脳障害等を窺わせる診断名の記載はなく、普段の苑生活でもある程度の痴呆症状があるものの、極めて軽度で、そのうち殆ど寝たきり或は本件選挙前後に体調を崩してそれに近い状態であった者ら(1、14、24、25、34、41、43、47)も、判断と意思表示に支障はなく、候補者名も投票補助者に指示できたと認められる(1のHKは、成程、体調は良くなかったが、〈証拠〉によれば、以前は苑から娘HSに対して手紙も出していたこと、本件投票前後も起きているときの意識は明瞭で応答もできたこと、また、前記四月二六日夜には町議会議員選挙のことを寮母に訊ねていることが認められるから、本件選挙に関しても候補者を選択し、投票場に臨めば自己の意思を伝えるだけの能力は十分にあったと認められる。14のMSは高齢で、同人の証言内容は明確を欠き、記銘力の低下はあるが、苑職員との会話から判断能力があると肯定される。なお、8のFSは高齢であるが、本人投票をしており、寝たきり或は高齢であるからといって、直ちに精神障害の程度が高いと断ずることはできない。)。

(二)  右(一)の〈証拠〉に照らすと、別表5、16、20、26、29、30、32、33、38、39、40、42の一二名の入所者らは、いずれも痴呆或は脳出血後遺障害等の診断がされており、全般的に記銘力の低下、独語、徘徊等の行為がみられ、不潔行為等のある者もあり、前記評価段階の軽度から高度に近い症状があったと認められるが、いずれも会話可能で職員との意思疎通に欠けるところはなく、前記苑外旅行等に参加するなどしており(もっとも、苑内活動も含めて、機能回復訓練等の観点から苑側において参加させることが多かったと推認され、過大に評価すべきものではない。)、社会生活上の精神的な障害はなかったと認められるから代理投票の意味を理解することができたと認められる(16のSMは軽度である。20のMFは寝たきりのことが多く、次男を長男と間違うなどの記銘力の低下等がみられるが、通常の会話は可能である。26のUMはカルタ取りに参加して優勝している。29のYMは時に異常行動もあったが、苑外活動にも参加し、選挙当時は意思疎通に不自由はなかったと認める。30のTMは31のTKと夫婦であり、苑内活動参加も多く、33のMKは体調が悪く、時に酸素を吸入していたが、意識はあり、前日から家族ら三名が泊っていたことが認められ、いずれも投票に他者の関与する余地は少なかったと認められる。32のMSは長谷川式簡易知能診査スケール測定点数は9点であるが、異常行動は殆どない。また、38のMMの証言は要を得ないが、診療録に痴呆との診断名の記載はなく、苑外活動にも頻繁に参加している。)。

なお、右各証拠によると、入所者の殆どが尋常高等小学校卒業であり、知的水準は低いからといって、生活能力が低いわけではなく、後記(三)で検討する入所者らも選挙の意味は理解していたと認められ、右の入所者らの代理請求、代理投票に瑕疵があったとまでは認め得ない。

(三)  その余の9、15、21、22、35、36、44、48の八名について検討するに、〈証拠〉によれば、9のMSは高齢で殆ど寝たきりであったこと、15のUSは痴呆の診断がされ、独語、失見当があり、面会等の際に娘をようやく認識できる程度であったこと、21のMTは昭和六一年一〇月頃から一一月頃まで不潔行為等が続き、また面会に来た弟を兄と間違えたままであったこと、22のNSも同様に昭和六二年四月九日の帰省に際し、当初は家族の区別がつかなかったこと、35のMTは高齢で殆ど寝たきりであったこと、36のTTは、本件選挙前後も独語が頻繁で、徘徊行為も多く、不潔行為もあったこと、44のTFは宣誓の趣旨を理解できず、証言も要を得ないものがあること、48のTTは高齢で難聴があり、欠食、けいれんが時にあり、昭和六二年五月一日付で国立療養所三角病院に入院したことが認められ、これらの入所者らは、前記区別からすれば、高度から非常に高度に近い症状があったと推認するのが相当である。

しかし、一方では、前掲証拠によると、15のUSは証言の際の応答は短いものの、選挙については「タスキがけ」と表現し、「今度選挙があったら行く。」と述べ、字も書けないことはないこと、21のMTについては「職員に冗談を言う。杖歩行訓練をする。」とのケース記録の記載もあり、カルタ取り等のゲームにも参加し、自分の氏名や平仮名も書くことができ、証言では「代議士と県会議員は相違する。」旨答えていること、36のTTはケース記録に「日記らしきものをつけていた。」との記載があり、その後症状は安定し、在宅介護可能となって退苑していること、44のTFについては、前記のとおり、証言は要を得ないものがあるが、「訓練室で投票がされる。印鑑は事務所で保管している。札所(投票所と思われる。)に行くときに入苑者と話をした。」旨証言しており、意思疎通のある苑職員らが質問すれば、本人の理解内容もより明確となり、選挙が代表者選任の手続であることを理解していたこと、48のTTは一応会話可能で、苑内生活での特段の異常行為はないこと、などが認められる。

右のとおり、八名中には通常人の理解を超える行動を取る者もあり、かかる異常行動のみから判断すれば、家族すら間違える者が苑内の閉鎖された生活の中で選挙の候補者名を上げることはないともいえるが、職員からの働きかけには応じて通常人と変わらない応答をしており、むしろ、一時的に症状はあっても、全体的な判断能力自体の低下は少なかったのではないかともみられ、「母以外の同室者は皆元気だった。」旨の〈証拠〉及び「入所者で症状のでる者もまだらぼけであり、理解できない行動ばかりとることはなかった」。旨の〈証拠〉も無視できないものがある。

また、選挙において投票する能力は、選ぶ能力であり、投票について確信や知識を得ることを強いられるものではなく、場合によっては白票を投ずることもできるのであって、前記のとおり不在者投票が苑内でされ、選挙の関心も高く、家族らの面会を通じて候補者名を教え込まれることもあると推認されることなどを考慮すると、苑入所者らは「選挙」について「苑の訓練室に赴いて投票の手続きをする。」程度の認識は持ち得ていたはずであり、代理請求については同程度の認識で足りるというべく、右の入所者らについても代理請求をする意思、能力を有していたものであるから、同請求に瑕疵はなかったといわねばならない。

5  右のとおり、入所者中には「非常に高度」に近い痴呆症状の者がいたと認められ、これらの入所者らが自ら候補者を選択し、同補助者に対して積極的に候補者名を告げたとまでは推認し難く、前記町議会議員選挙の際のH親子と職員間のやりとり及び前記甲野の苑内での選挙違反の事実に照らすと、投票補助者らにおいて特定の候補者名を示唆する言動をし、投票に赴いた右八名の入所者らに対し候補者を示唆し、選挙管理者である甲野においてもこれを黙認したとの疑いも払拭することができない。

6  以上のとおりであって、本件各証拠を総合しても右八票については、当該選挙人の意思に基づかないでなされた無効な投票であるとの疑があるが、これを超える投票部分についてまで、その選挙管理に瑕疵があったとか、自由意思に基づかない或いは判断能力なくしてなされた無効な投票であったとかまでは認められない。しかも、仮に、右八票の無効票が存在しても、無効の原因は不在者投票管理者及び補助者らの選挙管理の違法に起因するものであり、公職選挙法二〇九条、二〇五条に則り、当然無効ではなく、選挙自体の効力の有無として処理されるべきであるし、右票数をもってして選挙の結果に異動を生ずるものではない(当選者甲野太郎と落選者杉森との間の得票差は三四票であり、右無効投票が最下位当選者甲野太郎ではなく、次点者杉森に投票されたとしても、本件選挙の結果に異動を及ぼす虞れ、可能性はなかったといわねばならない。)。これらの瑕疵を当選無効事由と解しても、当選に異動を生ずるものでないことは右と同様である。

従って、右の各主張も採用することができない。

7  以上のとおりであるから、原告の異議申立を棄却した本件決定は結論において相当であり、甲野太郎の当選を無効とすべき事由もないから、原告の本訴各請求は理由がない。

三  よって、原告の本訴各請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高石博良 裁判官 川本 隆 裁判官 牧 弘二)

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